「あかん、どうしてもスリップしてしまう・・・」
もう何度目のスリップなんだろう。というか、スリップの期間が短すぎて、もはやこれは禁パチ禁スロをしていたといえるのだろうか。
そんな苦しくて情けなくて惨めでつらい思いを、僕も長年嫌というほど味わってきましたよ。
もう自分にはパチンコやスロットをやめることは一生できないのかと。そんなことを考えたときの絶望感は本当にヤバかったですね。
そしてもしかしたらあなたも今、そのような絶望感を感じながら、この記事を読んでくれているのかもしれません。
そんなあなたに僕が伝えたいことは、まず「諦めないで」ということ。
パチンコやスロットなどのギャンブルから足を洗うということに、決して諦めずに取り組むことです。
ギャンブルをやめるためなら何でもする。絶対に諦めない。全力で戦い続けると。
その覚悟を持つことです。
そしてあとは正しいやり方、知識、認識を持つことです。
これらを持たずしてギャンブル依存症と戦うのは困難を極めるでしょう。
そう、それはまさにRPGゲームで、レベル1のまま、武器も持たずにゲームをクリアしようとするようなもの。
土台、無理がある
ということ。
さらにひいてこの逆を言えば、その依存症克服というゲームの攻略法を知り、必要な装備を整え、自分のレベルを必要とするところまで上げていくことで、ゲームのクリアは決して難しいものではなくなる可能性が出てくるということ。
事実、僕はそうやってやってきました。
そして今現在、5年以上という期間を一度もギャンブルをすることなく、穏やかに過ごすことができるまでになりました。
あんなにも、終わっていた僕が。ですよ。
だから、あなたにも、必ずできる。
僕はそう信じているからこそ、こういった情報を発信しています。
自分以外には無理だろうと思うのであれば、そもそも意味を成しませんからね。どうせこんな文章を書いても誰の役にも立たないだろうと考えているならば、そんなことに時間も労力も使おうとは思えないわけですから。
禁パチ禁スロ禁ギャンブルは、僕もできるようになったし、あなたもできるようになる。
その前提で話をしていきましょう。
というわけで今回は、脱ギャンブルにおいて意味のあるスリップと無駄なスリップとはということについて書いていますので、一緒に見ていきましょう!
意味のあるスリップと無駄なスリップ
今回は禁パチ禁スロを含む脱ギャンブルにおいて、必ず問題になるスリップ(不本意にも再度依存対象に手を出してしまうこと)について深く考えていきましょう。
ちなみにパチンコやスロットなどのギャンブルを正しくやめる方法や知識については、このブログの各記事で都度解説していますので、それらを参考にしてくださいね。
意味のあるスリップ
意味のあるスリップとは、脱ギャンブルにおいてあらゆることを考え、あらゆる手を尽くした結果、それでもスリップしてしまった際に、新たな学びを得ることです。
もっとわかりやすく言うと、そのスリップがあったからこそ、自分の中の本当の問題点に気づくことができたり、自分にとっての真の脱ギャンブルのきっかけや糸口が見つかることです。
例えば僕の場合の話をします。
僕は長い間、お金欲しさやストレス解消のため、あるいは退屈しのぎなどと考えてパチンコやスロットを打っていた「つもり」でしたが、実はそうではなかった。
その深層心理には、幼少期から培われた心理的不安や自己肯定感の欠如、無力感、自己否定感、自己効力感の欠如による現実逃避など、あらゆる「心の問題」が関係していたのです。
これに気がついたのが5年前、現時点での僕の最後のスリップ後。
まあこれも言わば「今のところ」ですけどね。依存症は〇ぬまでどうなるかが分からない、恐ろしく厄介なものですから。
それでも、この本質に気がつけたからこそ、僕の脱ギャンブルは成せるようになったのです。
なるほど、いくらお金を持たないようにしようが、他の趣味を無理やり始めようが、うまくいかなかった理由がここにあったのかと。それがようやく理解できたのです。
これが、意味のある、スリップ。
です。
僕の中での、脱ギャンブルのセンターピン、核、芯、牙城、core。
やっとたどり着いた、答え。核心。
その答えを手に入れるための、非常に意味のあるスリップだった。
これはある意味必要。
成功するために必要な、失敗。
そういった意味を含んだスリップ。
僕にはこの経験があるので、今、脱ギャンブルを続けることができているというわけです。
あなたはどうでしょうか。
あなたにしか分からない、あなたの中にある、あなただけの脱ギャンブルの核心と答えは得られているでしょうか。
どうしてもスリップしてしまうとき、何年もやめていられたギャンブルにまた手を出してしまったとき、そのときのあなたの状況に、本当の答えが隠れていることが考えられます。
それを洗い出し、その原因を特定し、そして改善していける軌道に乗せられるのであれば、そのスリップは非常に意味のある、そして価値のあるものであるということです。
せっかくスリップしたのならば、そこから自暴自棄になってさらに現実逃避をするのではなく、見極めなきゃいけない。自分の中にある、自分にしか分からない感情、理由、原因、問題、関連性。これらを見極め、特定し、本気で向き合っていくこと。
これが脱ギャンブルの本質でした。
本質にたどり着くための、スリップ。
これは間違いなく必要なケースがある。
少なくとも僕の中では、あのスリップは本当に必要なものだったと、胸を張って言えます。
つまりは、それは自分にとって非常に意味のあるスリップだったということですね。
無駄なスリップ
意味のあるスリップに対して無駄なスリップとは、すなわち大きな意味を持たないスリップのことです。
ただいつもと同じことを繰り返し、ただ同じことを考え、ただ同じ感想を抱き、ただただ同じ感情と結論と結果にたどり着く。
いつもと同じ、この繰り返し。
そこに新たな発見や気づき、成長のないスリップのことです。
「ああ、また負けた」、「くそっ!またやっちまった!」、「もう二度と行くか!」
で?
そこから何を学んだ?何に気づいた?自分の心境を分析した?今回行ってしまった原因を特定した?行きたくなってしまうトリガーは分かった?
というようなことを深く深く考え、追求するきっかけに、そのスリップがなっていますかという話。
なっていないなら、果たしてそのスリップは意味があったのかという話になります。
絶望してからの変化もある
意味のないスリップを何度繰り返しても脱ギャンブルに昇華することは難しい、というのが今回の僕の持論です。
ただ、結一他に考えられる点として、何度も何度もスリップしていった先には、多くの場合、深い深い絶望と、圧倒的な後悔があります。
このいわゆる「人生の底」に到達することを、「底付き」などとも言いますが、ここも人が変われる数少ないタイミングとなり得るポイントであり、人生を変えられるターニングポイントになり得る瞬間でもあります。
僕も実際、「人生の底」を打って(落ちて、底に付いて)考えが変わった、というかようやく目が覚めたこともあったという自覚があります。
記憶にもしっかりとそれは残っています。
「このままじゃ、もうダメだ・・・」という、圧倒的絶望感。それが底付き。
たとえ無意味であったとしても、その底に行き着くための数々のスリップであったというならば、それはそれで僕の中では意味があったものともいえますね。
しかしここからいざ本気で這い上がろうと決意する者もいれば、本当にそこで諦めてしまう者もいる。だからこそできるだけ早い段階で、あらゆることに気づき、学び、ギャンブル依存症を克服していくに越したことはないのですが、これが本当に簡単ではないというのが依存症なんですよね。
だからこそ、知ってほしいんです。
底付きという言葉、そして意味のあるスリップ、正しい知識、認識、考え方。そういったものが存在するということ。
そしてこれらの知識と状況をフル活用して、一点突破を目指す。
それこそが、人生をかけた戦い、すなわち依存症の克服であると。
そりゃあ、一筋縄ではいかないわけですよね。
「そのうちやめられたらいいな」とか、「なにかきっかけがあったら自然にやめられるだろう、そんな人もいるし」なんて甘く考えていてはいられない、重大な問題なんですよ。
おわりに
僕はこの依存症に本当に悩み、苦しみ、もがいてきました。何十年もね。
だからこそ、脱ギャンブルは誰でも簡単にできますよとは言えません。
しかしそれゆえに、これは本当に大事なポイントだったということも、自分の経験から導き出すことができています。
その結果として、今は脱ギャンブルを続けることができていると。
このスリップの問題もその重要なポイントの一つですので、今回取り上げました。
あなたのスリップを、本当に意味のあるものにしてください。
そして少しでも早く、脱ギャンブルの道を行きましょう。
あなたがその道に来るのをお待ちしていますよ。^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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