「くそ・・・。また、負けた・・・。」
スロットやパチンコで大負けして、何度も何度も繰り返してきたあの絶望的な気持ち。
激昂して鼓動が速く、卒倒しそうなほど血圧を上げることもあれば、酷く落ち込んで悔み、放心状態になるときもありました。
「もう二度と行かない!死んでも行くか!」
パチンコ屋の帰り道、そう誓ったとしても、数日経てばまた同じように同じ台を打っていました。
勝てばもっと欲しいと考え、負ければ取り返すことを考える。終わりのない完全な依存症状態です。
そんな僕ですが、落ちるところまで落ちて気がついたことがいくつかあります。
「もっと早く気がついていれば。」
そのように思うことも少なからずありますが、依存状態の最中にあっては、そういった気づきすらもたやすくは得られないような心理状態になってしまうんですよね。
しかし、せっかく自らがどん底を経験して得た教訓ですので、同じ過ちを繰り返さないためにも、しっかりここに書き記しておきたいと思います。
ということで今回は、スロットやパチンコでどん底を経験した僕が気がついたこと、というテーマでお伝えしていきますので、一緒に見ていきましょう!
スロットやパチンコでどん底に落ちて気がついたこと
どん底といってもそれは人それぞれです。
僕の場合は破産や債務整理こそしてはいないものの、仕事を失い無職となり、スロットやパチンコで作った借金が残った状態で、貯金はもちろん、収入は無しという状況にありました。
「どうしよう、どうしよう・・・。」
頭の中で毎日お金のことがぐるぐる回るばかり。
いまだかつてない貧乏と不甲斐なさを感じ、まさに自分の人生の底を味わっていました。
ただ、落ちるところまで落ちたがゆえに、見えてきたものがあったのです。
それが以下のようなことでした。
・お金に対する無知さ
・生き方のまずさ
・人生のはかなさ
順番に書いていきますね。
依存症の恐ろしさ
どれだけ負けても、どれだけ悔しい思いをしても、またスロットやパチンコを打ってしまう。
親や嫁に泣きつき、家財を売り、一時的に借金を清算しても、また同じ過ちをしてしまう。
自分の意志でやめられなくなってしまっている。
自分の状態がまさにギャンブル依存症であると気がついたとき、依存症の恐ろしさを痛感しました。
ギャンブルや酒、タバコなどをやる人が、麻薬や覚せい剤で捕まった芸能人を笑うことがありますが、決して笑い事じゃないんですよね。
ただ国や誰かの都合で、それらが違法になっていないだけで、経済的あるいは健康面で弊害が出ていてもやめられなくなっているという時点で、同じ依存症者です。
他人のことを笑っている場合ではないのです。
僕は底つきを感じたと同時に、自分が決定的な依存症者であるということを認めざるを得ませんでした。
そして、自分がギャンブル依存症であるということを全面的に認めたことで、依存症に対する知識や、その対処法、改善策を自ら模索するようになりましたので、まずは依存症の恐ろしさに気づいたことが、僕の禁スロ禁パチへの第一歩だったというのは間違いありません。
底つきを味わって、自分が依存症であるということを認めた。
そして依存症の恐ろしさに気がついたこと。
これが一つ目です。
お金に対する無知さ
次に気がついたのが、自分のお金に対する無知さです。
就職してお金を稼ぐことは覚えても、その正しい使い道を勉強してきませんでした。
稼いでも湯水のごとく出ていくので、何度も転職して少しでも収入の良い仕事を求めてきました。
身を削り、精神を疲弊させて稼いだ大切なお金を、スロットやパチンコにつぎ込む毎日。
そしてそういったお金に無知な人間を誘い込む、パチンコ屋の甘い罠にまんまとハマっていたわけですね。
投資と消費と浪費、その明確な違いすらも説明できないような知識では、誰かに騙されてしまってもなんら不思議ではなかったということ。
僕は底つきを感じるとともに、お金の勉強を始めました。
そしていかに自分がお金に対して無知だったかということを、思い知りました。
これが二つ目の気づきです。
生き方のまずさ
お金に対してあまりにも無知であるということは、そのお金の稼ぎ方も、そして稼いだお金の使い方、さらには増やし方もろくに分かっていないということです。
つまりは、今までの仕事の選び方、身の振り方、他人との付き合い方に至るまで、自分の生き方そのものがまずいともいえる、そういったところにも気がつきました。
生き方がヘタくそと言われればそれまでですが、やはりスロットやパチンコなんぞにのめり込んでしまうような生き方や考え方、生活環境がまずいのではないか。
スロットやパチンコから足を洗うために、財布にあまりお金を入れないとか、そういった小手先のことではなく、根本的に考えを改め、学びなおさなければいけないのではないか。
そのように考えるようになりました。
具体的には、書籍やネットを通じて、お金や人生論を深く勉強しなおしました。
そこで、やはり今までの自分の生き方そのものにも様々な失敗要因があったということを知れたのが三つ目の気づきです。
お金の問題、仕事のストレス、家庭の問題、人間関係の問題、何一つ、スロットやパチンコで解決するものは無いのです。
それらの問題には、それ相応の覚悟と決意をもって立ち向かい、一つずつ解決するべきものであり、その解決方法を模索することすらせずにスロットやパチンコに逃げていた自分に気がつくことができました。
人生のはかなさ(儚さ)
依存症の恐ろしさに気づき、お金の無知を知り、自分の今までの生き方に疑問を持つ。
その結果として、自分の人生を深く見直すことに繋がりました。
今までどうだったのか、そしてこれからどうありたいのか。
本当にやるべきことは何なのか。
そういったことを一から見直しました。
スロットやパチンコに支配され、老いて、死ぬだけの人生。
そんな人生はやっぱり嫌です。
やりたいことは人並みにありますし、かなえたい夢もあります。
そしてそれらは、今ここでスロットやパチンコと決別しない限り、実現しないということに気がつきました。
スロットやパチンコにハマっていた20数年、思い返せば長いようで結構早かったんですよね。
それを考えると、このまま同じ生活をしていればさらに20年経つのもあっという間です。
その時自分は何歳なのか。
そして、今と同じ後悔はしていないのか。
静かに考えてみれば、分かりますよね。自分のことですから。
あと20年経って、老い先短くなった自分はきっとこう考えるでしょう。
「もう、今さら・・・。」と。
そうやって、一生スロットやパチンコをやめられずに人生の終わりを迎える人はどれだけいるのでしょう。
人生には必ず終わりがあって、長いようで短いもの。何かを望むのであればなおさらね。
やりたいことがあるならば、早くやるべきだし、ましてやスロットやパチンコをしている暇なんて本当に無いんですよね。
底を味わい、人生のはかなさに気がついたからこそ、このままでいいのかと考えることができました。
おわりに
何をもってどん底とするかは人それぞれですし、それが本当にどん底だったかということも、後にしか分からないことなのかもしれません。
ただ、自分が思うどん底にたどり着いたときには、一度本気で自分の人生について考え直してみるタイミングだと思うのです。
僕もこれまでの生き方を見直し、できることから始めています。
どん底、貧乏、すべてがうまくいかなくなった、そんな経験をしたからこそ、見えてくるものもありますし、人によってはそこから上に一気に跳ね上がっていく人もいますよね。
そういう意味では、どん底を経験するというのも、悪いことばかりではないのかもしれません。
もちろんきついことですけどね。
でも何年か先には、「あれがバネになりました。」、「あの時があったから成功できました」とぜひ語りたいですね。
ドヤ顔で。^^
関連記事があります。
ということで今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメント