「パチンコもスロットもやめられない・・・ちくしょう・・・!」
悔しいですよね。
何度も何度も何度も何度も、同じ失敗と後悔を繰り返す自分の情けなさに絶望を感じていませんか?
僕は感じていましたよ。
どうしようもない絶望感と、繰り返す後悔の念と、人生に対する大きな不安と、何とも言えない焦燥感と、家族に対する申し訳なさと・・・、そういった多くのものをね。
そのすべてはいわゆる負の感情。自分の人生には本来必要のないもの。徹底的に排除したいものであるはずなんです。
にもかかわらず、なぜ自分はいつまでもこんなものを抱えて生きているのか。いつまでこんな人生が続くのか。そういったことをいつも考えてはいましたが、そこから抜け出せる術を知らなかったため、ずいぶんと長い間苦しんできてしまいました。
もし今あなたが、かつての僕と同じ苦しみを味わっているのだとしたら、そこから抜け出すために伝えたいことがあります。
それが今回のテーマである、パチンコやスロットをやめるためにまず他責思考をやめようということです。
一緒に見ていきましょう。
パチンコやスロットをやめるためにまず他責思考をやめよう
今回あなたに確認してほしいのは、自分が他責思考で生きてしまっていないかということです。
他責思考とは、自分に起こるあらゆる物事の原因や責任が自分自身ではなく、他者にあるという考え方、思考傾向です。
例えば、今の自分の仕事に不満があるのは、会社のせい、上司のせい、同僚のせい、部下のせいであるとか、今の自分にお金がないのは、国のせい、政治のせい、社会のせい、地域のせいであるとか。
そのほかにも、学校が悪い、親が悪い、環境が悪い、時代が悪い、などなど。ことあるごとに、真っ先にこういう思考をしてしまう「癖」や「傾向」のことをいいます。
実はこの他責思考をしている限り、まず物事はうまくいきません。
というか、人生がうまくいきません。
その結果として、ギャンブルがやめられません。
他責思考をしている限り、自分自身が成長できなくなるからですね。
なぜなら自分にはまったく問題がなくて、常に完璧で、直す必要があるところなんてないと考えているのと同義ですから。ここをもう少し改善しようとか、どうすれば良くなるかな、問題が解決できるかななどということさえ、考えなくなってしまう。
自分に問題はない。誰かが何とかしてくれる。何とかしてくれないのはあいつが悪い。俺は悪くないってね。
この思考の極地が、世の中にパチンコ屋があるのが悪い、ギャンブルを開催している国が悪い、パチンコやスロットを容認している政治が悪い、パチンコ屋潰れろ!じゃないと俺がやめられないだろうが!!
という考えに行きつきます。
どうですか、少なからずこういった考え方をしてしまってはいませんか?
過去の僕はまさにこういった自分勝手でどうしようもない考え方をしてしまっていましたよ。
だから、いつまでもギャンブルがやめられなかったのです。
確かに、自分ではどうしようもない、理不尽なことも世の中にはありますし、自分の身にも起こったりはしますよ。
でもね、そういった際にも、自分ではどうにもならない問題であればさっさと離れる、決して関わらないと判断するとか、逆にそれが自分の責任で起こっている問題なのであれば、しっかり向き合って解決するという判断を的確にすることがとても重要です。
例えばですね、日本にパチンコ屋やギャンブル場がいくつもありますが、明日にはこれらがすべて消えてなくなるでしょうか。まずないですよね。ギャンブルなんてものはそもそも江戸時代にはもう半か丁かなんてやっていたんですから。今日明日ですぐにどうにかなる問題ではないでしょう。
だったら、自分を変えるほうが早くないかという話。
社会の問題、国の問題、政治の問題、いろいろあるのは分かりますが、それらのせいにして自分を被害者扱いばかりするのではなく、自分にもギャンブルなどというクソみたいなものにハマってしまった責任や原因はなかったのかということを今一度考えてみるのです。
自分自身がギャンブルに対して、あまりにも無知ではなかったか、安易に手を出してしまっていなかったか、いつでもやめられるものと油断などしていなかったか。
さらには、人生軸上に本来やるべきことや向き合うべき課題があったにもかかわらず、ギャンブルに逃げたり、ギャンブルを利用しようとしたり、ギャンブルに何かを期待したり、ギャンブルにすがりつくような、そんなことを自分自身がギャンブルに求めてこなかったか。
もっと分かりやすく言えば、ギャンブルがこの世にあることがすべて悪いのか、それともギャンブルなんかに手を出してしまった自分にも問題があったのかを今こそ改めて見極め、俯瞰的かつ的確に判断し、この問題を解決していきましょうということです。
かつての僕は、「ギャンブルさえこの世になければいいのに・・・クソがっ!」なんてことも本気で考えていましたよ。でもね、そういう人はたぶん、ギャンブルがなかったらなかったで、別のものにハマってしまっていた可能性もあるんじゃないかと思うんですよね。
それが例えばおかしな薬物だったとしたらどうでしょう。
今度は「この薬物さえなければ・・・クソがっ!」って言っているんでしょうね。
いつまでたっても他責思考。だから何も変わらない。何も成長しない。今回はギャンブルだったというだけの話。世の中にある罠はギャンブルだけではないんですから。
違法薬物、詐欺、宗教、高額商品、課金ゲーム・・・、合法違法を問わず自分が何かにハマりこむたびに、「あっちが悪い!」という思考をして、延々と騙され続ける人生を送るのかという話。
確かに、人を騙すほうが悪いんです。しかし、騙されるほう、つまり自分にも問題はなかったのかということを振り返ってみてほしいんです。
「いや!俺には問題も原因も責任も一切ない!!」というならそれでもいいでしょう。それを判別するのは他人ではないですから。
しかし僕は少しずつですが、この他責思考をやめ、自分を振り返るということを意識的に続けてきました。
とはいえ「すべては自分のせいなんだ・・・」というようなネガティブな思考ではなく、「もしかして自分にも問題があったのではないか」と考えるようにしたわけです。
自分自身に起こっている問題について、振り返り、俯瞰して考え、判断し、行動する。
そうすることで、少しずつ「成長」することができます。
その成長の向かう先こそが、いうまでもなく、脱ギャンブルなんですね。
他責思考の人はギャンブルの良いお客さん
他責思考の人はギャンブル屋さんにとって良いお客さんです。
どれだけお金をむしり取っても、懲りないから。学ばないから。改善しないから。
それもそのはず、頭の中では、「パチンコ屋が悪い」、「台が悪い」、「日が悪い」、「縁起が悪い」、「他人が悪い」などと、延々と他責思考にまみれているんですからね。
そうなると、「俺は悪くないんだからこんなに負けるのはおかしい!」、「この結果はおかしい!」、「あり得ない!」、「もう一回勝負だ!」、「次こそは俺に都合が良くなるはずだ!」
なぜなら、俺に問題はないんだからー!!!
ね。
で、また来る。
店に。懲りずに。何度でも。
マジのアホ。
これが過去の僕。
あえて言おう、カスであると。
気づかなきゃ。そろそろ。いい加減に。
あれ?もしかして俺がバカなんじゃ・・・?
もしかして、実は俺に問題があるんじゃないか・・・?
パチンコやギャンブルは、昔から、ただそこにあるだけ。
誰も強制していないし、毎度誰かに誘われるわけでもない。
なぜ、行く?
どこに問題がある?
そこからですよ。
初めて本当の禁パチ禁スロ脱ギャンブルができるようになるのは。
自分自身に視点が向き、自分の中にある問題を特定し、それに向き合い、学びを得、改善していくことが脱ギャンブルの神髄なんですよ。
他責思考はまず、自分に視点がいかないですからね。
脱ギャンブルが一生始まらないんですよ。
だからいつまでもギャンブルをやめられないという仕組み。
なかなか恐ろしい話ですよね。
なぜ他責思考になるのか
他責思考に問題があることは分かった。しかし、なぜ自分はこのような思考になってしまったのだろうということも僕はずいぶんと長い間考えてきました。
そこでたどり着いたある答えがあるんですが、それはやはり幼少期からの家庭環境や親の影響というものが大きかったことは一つの事実ですね。
親が他責思考であった。そしてやはりギャンブルをやっていた。
それが当たり前の環境、当たり前の家庭、当たり前の世界、当たり前の生き方。
そうやって成長していった結果、気づけば僕も立派な他責思考人間になっていたという事実は間違いないです。
あれ?またそうやって親のせいにするの?
それはちょっと違います。
真の他責思考とは、それこそ一生「親のせいで俺はこうなった!だからギャンブルもやめられないし、人生がうまくいかないんだ!」、「俺がギャンブルをやめられないのは仕方がないんだ!」と思い続けることです。親のせいにし続けておくことで、自分は何もせず、何も考えずに済むから。
一生、死ぬまでそう考え続け、自分は何も行動を起こさず、幸せとは程遠い人生を送り、そしてひっそりと人生を終える。
それが僕の中での真の他責思考の末路。
そうではなくて、確かに自分が他責思考になってしまった要因や環境というものはあった。それは事実だし、変えることのできない過去である。
しかし、親との関係を見直したり、自分の考えを改めたり、世の中の真実を知るために学び、新たな知識と知恵と認識を手に入れることは今からでもできるじゃないか。それをしないのは誰のせいなのかを本気で考えてみよう。
そう考え、情報を集め、学び、知識をつけていった結果、僕の中でギャンブルに対する認識が変わっていき、結果としてあれだけ絶望的にできなかった脱ギャンブルができるようになったのです。
それは自分にも問題はないか、自分にも責任はないか、自分にも逃げている部分はないか、そうやって他者ではなく自分自身に目を向けていった結果です。
他責に対して自責とも言いますが、これは決して「全部自分が悪いんだ」などと、自分を追い込む考え方ではありません。それはまたある種の逃げであり思考停止行動であり誤った考え方です。
そうではなく、本当の問題はどこにあるのだろう、根本的原因はどこにあるんだろう、どこをどう改善すればこの問題が解決するのだろうと考えつくし、学び、行動するという、あくなき探求心と向上心がもたらした結果です。
つまり、自分を成長させ、高め上げ、目の前の問題をクリアできる力を身につけるプロセスです。
それを一言でいうと、「他責思考をやめよう」ということです。
この話があなたの脱ギャンブルの参考になることを願っています。
おわりに
過去の僕は本当に心の底からギャンブルが悪い、パチンコ屋が悪いと思い込んでいましたからね。
そうなると、「自分は悪くないんだから、あっちがおかしいんだ!」、「こんなはずはない!何かがおかしいんだ!」などという思考にマジでなるんですよ。
これもある意味洗脳状態ともいえますが、ギャンブル屋さんは明らかにこの偏向思考を手玉に取って利用していますよね。だって、ほっといてもまた勝手に来て勝手にお金を入れて勝手に負けて勝手に怒って勝手に帰って勝手にまたお金を持って来てくれるんですから。こんなおいしいお客さんはいないわけですよ。
それが過去の他責思考の僕だったってわけ。
自分に問題があると考えないから、「次こそは!」、「こんなはずはない!」、「おかしいやろ!」などという思考ループから延々と抜け出せず、何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返しに、店にやってくる人間。どうですか、愚かでしょ。
成長しましょう。一緒に。
僕たちは、いつでも自分次第でそれができるんですから。
ね。^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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