「ギャンブルをやめて4年経つとどうなるか」
今回はこのテーマで話していきますね。
僕が主にパチンコやスロットなどのギャンブルをやらなくなって、現時点で4年と数か月が経過しているところなんですが、当時の依存症真っただ中にあった自分との心境の違いに、自分でも本当にびっくりしています。
ギャンブルがない人生は、こんなにも平和なのかと。
自慢などではありません。
ただただ、あなたにも心からこの状況になってほしい。早くこっち側に来てほしいというだけ。
本来のあなたらしく、あなたの本当の人生を生きてもらいたいだけなんですよ。
そのためには、まず、何が何でもギャンブルから離れなければいけない。分かっていますよね。
とはいえ、ギャンブルをやめたらどうなるのかというところも気になることがあると思いますので、今回は僕の現状の話をしていきますね。
今の僕の状況を聞いてもらえれば、安心して禁パチ禁スロを始めることができるでしょうから。
それでは行ってみましょう!
ギャンブルをやめて4年経つとこうなる
あくまでもこれは僕の場合ですが、まず、「ギャンブルにまったく関心が無くなる」です。
まず、びっくりですよね、これが。
あれだけ末期のギャンブル依存症だった僕が?家族や周囲の人に嘘までついてパチンコやスロットを打ちに行っていたザ・パチンカスの僕が?借金をしてまでサンドに万札を一生懸命にぶち込んでいたあの僕が?
ギャンブルに関心がないだと!?
さすがに言い過ぎたやろと思っているでしょう。
しかし、これが本当なんですよね。だからこそびっくりしているんですよと。
興味がないというか、本当に「いわゆる無関心」という状態。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」であるといわれるように、本当に気がない。興味がない。空気。
この状況は実は僕が禁パチ禁スロ脱ギャンブルをする上で、一番理想としていた状況でもあります。すべてがラクだからですね。
たとえば、パチンコやスロットが憎くてしょうがない。四六時中恨みつらみで頭の中が支配されている。こんな状況は、ある意味「嫌い嫌い」「ムカつくムカつく」で心が縛られている状況だともいえますよね。そうなるとどうなるか。
そう、いつまでも忘れられないのですよ。
いつまでも心の問題が解決していかない。
だからこそ、危ない。ふとしたときに何かが転じて、またあの恐ろしいまでの執着心がメラメラと燃え上がってしまうかもしれないから。
それに比べると、「無関心」というのは本当に良いですよ。
普段パチンコやスロットのことを思い出すことすらないですからね。
街でパチンコ屋を見かけても、なんとも思いません。「あ、まだやっているんだ」とたまに思うくらいです。
さらにたとえばの感覚で言います。これは僕がよくこのブログ内でも書いていますが、たとえば男(おっさん)の僕が、ドラッグストアの女性用の化粧品コーナーに感じるくらいの感覚です。
まず、普段意識しない。そこにあるという認識はあるが、まず、用がない。ゆえに、意図的に意識しなければ、存在しているという認識がない。そのくらいの空気感。
いやあ、これはラク。良い距離感にいるという意味で。
だって、いくらパチンコ屋を恨んでも、そう簡単にパチンコ屋は潰れないでしょう。それは向こうも商売で、生きていくために必死でやっているからですね。
だからこそ、いがみ合ったり、にらみあったりということ自体がもうナンセンス。
お互い無関係、無関心、不可侵でOK。
お互いがそこに存在しているが、まるっきり接点が無いという状況。
これでよしですよね。
この状況こそが、本当の意味でギャンブルから身も心も離れた状況で、あとはお互いがお互いの人生を生きればいいのだと。
こんなことをね、4年も経つと考えてしまうという話。
それができるようになるという話。
ちなみに僕はこういったブログを書いていることもあって、どうしても当時のことやパチンコのことを思い返したり深く考える機会というのが出てきますが、本来はもうきれいさっぱりと縁を切ったあとは、自分の幸せや本来の自分の人生を生きることを追求していけばいいですよね。
それこそが禁パチ禁スロ禁ギャンブルの本来の目的なんですから。
ギャンブルを自分の人生からきっちりと切り離し、本当の自分の人生を生きていく。
それができるようになるんですよ。ということが、今の僕があなたに伝えたいことです。
もちろんそのために必要な歳月は人それぞれ、同じ年月を経ても、そのときに得られている状況は完全に人それぞれです。
ただ、僕は間違いなく、ギャンブルをやっていたときより、幸せです。
これは紛れもない、一つの事実であるということだけは知っておいてください。
ギャンブル依存症は克服する価値がある。これだけは間違いないということを僕はあなたに伝えたい。
ギャンブルで長く苦しんだからこそ、ギャンブルで深い絶望と挫折を味わったからこそ、このギャンブルのない平穏な日常の幸せがよく分かるんです。
そしてそれをあなたにもぜひ味わってほしい。
ただただそれを願い、僕はこの記事を書いています。
自分はギャンブル依存症であるということだけは忘れない
ギャンブルを断って何年が経とうとも、何十年が経とうとも、もっとはっきり言えば、自分の人生が終わる日までですね。自分がギャンブル依存症だということだけは絶対に忘れてはいけませんし、僕ももちろんこれだけは肝に銘じて生きています。
その事実は、墓場まで持って行きます。(一生付き合っていくという意味で)
いくら現時点でうまくギャンブルから離れられていようとも、いくらギャンブル依存症を克服できたと自負していようとも。
ギャンブル依存症は治ってはいない。
この事実だけは、〇んでも忘れてはいけません。
それが依存症というものです。それが依存症だから、仕方がないのです。
でもそれが分かっていればいい。忘れなければいい。
問題なのは、「もう大丈夫かな」と考えてみたり、「今度こそうまくやれるんじゃないか」などという愚かな考えをもってしまうこと。
間違いなく、地獄を見ます。以前よりも、深い地獄をね。
だからこそ、依存症というものについてよく理解し、適正な距離を取りながら、幸せな人生を歩んでいくというのが、脱ギャンブルの目的。
ギャンブルはこの世からなくなりませんし、そんなところに心を囚われ続ける必要もないんです。
江戸時代でもすでに「半か丁か」ってやってたじゃないですか。ギャンブルは長い歴史があって、今日明日に消えるものではないんです。形を変え姿を変え、これからも人類と共にあるものでしょう。
問題は、その中であなたがどう生きるか。
ギャンブルが身近にあろうとなかろうと、関係のない人には関係がないんです。それこそ僕と女性用の化粧品のように、まず、生活の中で接点が無いもののごとく、そこにお互いが存在しているというだけです。
そこであなたはあなたの人生をあなたらしく生きて行けばいいだけ。
僕は今、まさにそうやって生きています。
そうなれたのも、ギャンブルをやめたからですね。
もうギャンブルで苦しむのはやめませんか。
ギャンブル場から誰かがやってきて、無理やりあなたをギャンブル場に連れて行っているなんてことはないんですから。すべてはあなた次第。
あなたが変われば、あなたとギャンブルとの関係も変わるんです。
当時の僕と今の僕との違いのようにね。
一緒にギャンブルをやめましょう。
おわりに
僕は今ギャンブルから離れ、本来の自分が理想とする自分の人生を構築することに、時間もお金もエネルギーも使っています。
これをあと数年、いや、自分の人生の最後となるときまで継続した場合と、逆にギャンブルをやめずに一生を送った場合、どちらが自分の中で納得できる人生になるのかをよく考えます。
今までたくさんのお金と時間をギャンブルに費やしてしまった後悔はありますが、これからの人生をわざわざさらに後悔する必要はないでしょう。
そのための脱ギャンブルですよね。
僕は引き続きノーギャンブルで生きます。
あなたもぜひ!^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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