「本気でパチンコをやめたい・・・でもやめられない・・・」
パチンコやスロットをやめたいのにやめられない苦しさは、僕には痛いほどよく分かりますよ。
だからこそ、もうやめましょう。ただただそう言いたい。
だけども、行ってしまうんですよね。やめましょうと言われて、はいそうしますと言ってやめられたら苦労はしないですよね。分かりますよ。
ただ、僕の場合はもう本当に「行きたくない」ですからね。
そもそも行きたくならないんですよ。だから行かないし、行かなくて済んでいるし、結果としてパチンコやスロットをやめられています。
20数年間もパチンコやスロットをやめられなかった人間がですよ。
やめたいのにやめられないのは、結局パチンコやスロットを打ちに行きたくなってしまうからではないですか?
どれだけ打ちのめされても、どれだけ理不尽な目に会っても、どれだけ後悔しても、数日もたてばまた打ちに行きたくなってしまう。
ここが問題なんですね。
純粋に行きたくなくなれば、行かなくなります。理由は、行きたくないからです。基本的にやりたくないことを人間はやらないですからね。
食べたくないものをわざわざお金を払って食べませんよね。それと同じです。
例えば今の僕が、「パチンコを打ちにいこう!」と誰かに言われたとしても、「いや、行かないです笑」と即答します。本当に心から行きたいと思わないので。
びっくりですよね。
あれだけ自分ではどうしようもないくらい「打ちに行きたい」という感情を抑えられなかった僕が、このような心境に変化してしまった理由は一体何なのでしょうか。過去の僕と今の僕の違いは何なのか。
そういったところを分析してみると、パチンコやスロットの本気のやめ方というものが見えてくるかもしれない。そのように考えてこの記事を書いています。
ということで今回は、パチンコをやめたいなら徹底的にうんざりしなさいということについて書いていますので、一緒に見ていきましょう。
パチンコをやめたいなら徹底的にうんざりする
あらためて僕があるときからぱたりとパチンコやスロットを打ちにいかなくなったのは、よくよく思い返せば、もう本当に心の底からうんざりしたからだと思います。
うんざりです。うんざり。圧倒的うんざりです。
生半可なうんざり具合ではないんですよ。ここが一つのポイントかなと考えています。
本当にもうあのうるさい音も聞きたくないし、無駄にまぶしい光も浴びたくないし、店員にいらっしゃいませ(また来たよこいつ笑と思われながら)とも言われたくないし、リーチでアニメのキャラが長々と敵と戦って、最後には「うわー」とか「ぐはぁっ」とか言ってしーん・・・となるのを見ているのももはやあほらしさと恥ずかしさしかないし。
さらにはそのリーチを左右の人とドキドキしながら見守るなんて所業はもう地獄でしかないし(幼稚さと情けなさという意味で)、さらに無駄に他者に気分を害されたり、マナーの悪い人を視界に入れたくもないし会いたくもないし関わりたくもないと。
あとはなんでしょう。
そうそう、大事なこと。
なによりも、お金が減るのが嫌なんですよ。
そうだ、これは本当に大事なところです。
パチンコやスロットを打てばお金が確実に減るということ。このことを僕は今心の底から理解していますし、そう思い込んでいるし、そう認識しています。
たとえ、「いや、勝っている人もいるよ」とか、「うまくやっている人もいるよ」などと言われたとしても、「ああ、その人たちはね」とか、「そういう人もいるでしょうね」と今は素直に思えます。否定もしません。
しかし、とにかく自分は「勝てない」と思っているし、それどころか「一度でも勝ったらまた負けるまでやって、さらにまたやめられなくなるんだから、本当の勝ちなんてものはない」と考えています。
むしろ勝ったら地獄。またあの地獄を味わうの?絶対嫌。うんざり。だから間違ってもパチンコやスロットを打って勝ってしまうなんてことが無いようにしたい。一生ね。
絶対にお金を減らしたくないし、間違っても一度たりとも勝ってしまいたくないし、他に何か、これだけはやりたいということも一ミリもない。
完全に行く理由がないですね。
じゃあお金が欲しいときにはどうするの?
正しい方法で稼ぎます。
暇な時はどうするの?
他にやりたいことがたくさんあるので暇はないです。
パチンコに誘われたらどうするの?
行かないです笑
と、このようになっています。
なんでしょうね、本当にもううんざりしたんですよ。今もうんざりしています。
このうんざり度合いは、確かに過去のそれとは違うレベルではありますね。
これが認識や価値観が変わった状態であるという認識はあります。
うんざりして認識が変わる
例えば大好きな人がいたとして、最初はどんなことがあっても許せるし、ラブラブだったとしましょう。でも何か嫌なことが一度や二度ではなく、何度も何度も続けば、あるときふと冷めるという感覚になることがありますよね。
他にも好きな食べ物であっても、友達関係であっても。趣味であってもですね。
あれほど、あれほどハマっていたのに、今はもう完全にやっていない。そんなことはありませんか。
それは純粋に飽きたか、うんざりしたか。はたまた冷めたか、覚めたか。
いずれにしても、心(脳)の認識に変化が起こっているということですね。
僕のパチンコやスロットへの思いは、圧倒的うんざりです。
そして自分は絶対勝てないという理解が進んだことと、パチンコやスロットに対して100%負けを認めたこと。これも大きい。
もう挑まない。もう戦わない。もう期待しない。パチンコ屋さんの勝ちでいいです。それを認めます。だからもう勝負なんてしない。
ぶっちゃけ、20数年で2000万円以上使ってきましたので、これからまたあと20年パチンコやスロットを続ければ(店が残っていたらですけどね)、さらに2000万円費やすことになるということを理解していますから。
そんなうんざりすることありますかって話。
そして今から20年後は60代ですからね。そこでまた後悔して、その後どうすんの?もう人生終わるよ?
ああ、死ぬまでやめられない人というのはこうやってできていくのかと。
なんともうんざりな話。そんな人生は嫌だなと。
考えれば考えるほどにうんざりなんですよ。
僕がこれだけうんざりしているのは、本当にたくさん負けて、たくさんお金を使って、たくさんの時間を使って、たくさんの悔しさを味わって、残ったのは借金と後悔だけだったからですよ。
だから真剣に悩んだし、真剣にどうやったらやめられるかを模索しました。
そしていろんな書籍やブログを読んだりして、同じ状況にいる人がいかに多いかということも学びました。
なんだ、やっぱりパチンコやスロットは勝てないようになっているんだなと、そこでようやく理解できたのかもしれません。
じゃあもうやる意味ないよね。やる価値ないよねと。いったい何に期待しているのと。
やればやるほどお金も時間も無くなっていくんだから、逆にやるメリットは何?と。
そうやって自問自答していると、今までの凝り固まった思い込みや、パチンコやスロットに対する期待がまるで変わってきます。
そこにほころびが生まれる。
そのほころびから、自分の思考や行動の異常さや愚かさ、そしてパチンコというものの仕組みや事情などのあらゆることを考えに考え尽くしていく。
そうすると、さらにうんざりします。そしてあるときふと、自分の認識が変わったことに気づく。
「あれ、なんで俺今までこんなことやってたんだろう」
この言葉が出れば、ほぼほぼ治療は完了となります。
これは洗脳を解くやり方でもありますが、依存症の克服にも同様の効果があります。
徹底的にうんざりしてください。
その先に、違う自分があります。
おわりに
今以上にうんざりするために、まだまだ取り返しがつかなくなるほど負けてくださいなどと言っているわけではありません。
今このブログを見ている時点で、あなたにも思うことがあるのでしょう?
パチンコやスロットの闇や仕組み、自分の愚かさや情けなさ、ひどい後悔。
それをさらにうんざりするまで考え尽くしてくださいというわけです。
このブログはそのお手伝いをするものです。
そういった考えもあるのかと納得したり、自分にもまだできることはないかというヒントを得てください。
「そんなことは考えたこともなかった」というようなことを無くしてください。
考え尽くしてください。本当にうんざりするまで。他でもない、自分のことですからね。
考えて考えて考え尽くし、後悔して後悔して後悔した先に、パチンコやスロットに圧倒的にうんざりした自分が居るでしょう。
そんな人に「パチンコ行かね?」と言っても、「いや、行かない苦笑」となるでしょう。
早くあなたもそうなってくださいね。
またお話ししましょう!^^
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それでは今回はこの辺りで。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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